大地のコレクション展2022

田中 信太郎

田中 信太郎 1940 - 2019

田中 信太郎 1940 - 2019

1960年代から60年間にわたり制作をつづけ、日本美術界を牽引。読売アンデパンダン、ネオ・ダダ・オルガナイザーに参画、幾何学的でミニマルな立体表現で知られ、80年代以降抽象的な平面に立体を組み合わせるオリジナルな作品を手掛けた。没後2020年に市原湖畔美術館とアートフロントギャラリーで個展が開かれた。アーティゾン美術館に新たに6作品が収蔵され。エントランスを飾る常設の彫刻作品(1986) とともに人気を博している。

■略歴
1940 東京、立川市に生まれる。戦時中日立市に疎開。
1958 茨城県立日立第一高校卒業
    卒業後上京し「フォルム洋画研究所」に在籍
1976 文化庁芸術家在外研修員 ニューヨーク、パリに滞在
2019 8月23日、胃がんのため死去。79歳没

■主な個展
2020 「田中信太郎 – 風景は垂直にやってくる」市原湖畔美術館 / 千葉
2020 「田中信太郎作品展」 アートフロントギャラリー / 東京
2014 「かたちの発語展」 BankART1929 / 神奈川
2001 「饒舌と沈黙のカノン」国立国際美術館 / 大阪
1999 ギャラリーαM / 東京
1993 「DELTA」ギャルリー・ところ / 東京
1980 村松画廊、東京画廊 / 東京
1968 「点、線、面」 東京画廊 / 東京
1965 「トランプシリーズ」 椿近代画廊 / 東京

■主なグループ展
2021 「STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」アーティゾン美術館 / 東京
2016 「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」 / 茨城
2014 「ネオ・ダダ新作展2013-2014」ギャラリー58 / 東京
2003 「越後妻有アートトリエンナーレ2003」 / 新潟 (2000も)
1997 「日本の夏 1960~1964」水戸芸術館 / 茨城
1988 「“田中信太郎・中原浩大”展」 ヒルサイドギャラリー / 東京
1974 「近代日本美術展""日本-伝統と現代""」 デュッセルドルフ市立美術館 / ドイツ 
1972 第36回「ヴェネツィア・ビエンナーレ」  / イタリア
1971 第11回「サンパウロ・ビエンナーレ」  / ブラジル   
1970 第10回「日本国際美術展 人間と物質」 / 東京、京都、愛知、福岡 
1969 第6回「パリ・ビエンナーレ」 パリ市立美術館 / フランス
1967 第2回「日本現代彫刻展」 宇部市野外彫刻美術館 / 山口
1966 「現代美術の動向」 京都国立近代美術館 / 京都
1960・62 ネオ・ダダ・オルガナイザーズに参加    
1959・62「読売アンデパンダン展」 読売新聞主催

■コレクション/パブリックアート
東京国立近代美術館、大阪国立国際美術館、長崎県美術館、茨城県近代美術館、セゾン現代美術館、アーティゾン美術館、神戸市、旭川市、長野市 他

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1972年ヴェネチアビエンナーレ日本代表。60年代のアンデパンダン展、ネオ・ダダ・オルガナイザーズでの活躍など、戦後の前衛美術の旗手のひとりに数えられる。緊張感を孕んだミニマルな絵画、彫刻作品群など、独自な表現を貫き、倉俣史郎を筆頭にデザイナーや建築界にも強い影響を与えた。80 年より病気療養のた めしばらく制作から離れるが、回復後《風景は垂直にやってくる》(ʼ85)を発表。その後も精力的に ブリヂストン本社ロビー彫刻《そのとき音楽が聴こえはじめた》(1986)、ソウルのオリンピック彫刻公園(1988), ファーレ立川(1994)などパブリックアートを次々と手掛けた 。

《〇△□の塔と赤とんぼ》2000年 大地の芸術祭2000 photo: ANZAÏ

大地の芸術祭の初回となる2000年、松代城山エリアに遠くからでもみえる赤とんぼが出現。5mの羽を水平に伸ばした赤とんぼは高さ16mに位置し、どの季節にあってもその存在感を示す。田中は赤とんぼの四季を詩にしたため、夏は「鋭角の陽ざしの中、垂直に天上を夢見る道標 / 赤トンボ巡礼」、秋は「黄金の稲穂の庭で、すすきとダンスの道祖神 / 赤トンボ巡礼」そして雪の季節も「山里が純白の幻映に包まれるころ、山頂で、独り、水平に踊る、道標 / 赤トンボ巡礼」と詠んだ。
入念に計算された堅牢な構造が図面に起こされ、地元の人々の協力のもと高所作業車を使って松代城山のシンボルが設置された。

《赤とんぼ》のためのプランドローイング photo by Yuichiro Tamura

2020年に市原湖畔美術館で開かれた個展《風景は垂直にやってくる》には、長年にわたって作られた立体のドローイングや設計図なども展示されていた。赤トンボへのポエティックな想いと同時に、細部までゆるがせにしないエンジニアとしての側面を覗かせる精緻なプラン。

【出品作品】《木蓮》1986 キャンバスにアクリル、大理石 photo by Yuichiro Tamura

1985年に平面と立体を組み合わせた新たな作風で復活した田中。病床での体験をもとに、以前の最低限の彫刻言語で語ろうとするミニマルな表現から、情緒的な要素が加わっているようにもみえる。この作品は《風景は垂直にやってくる》の翌年に制作したもので、長く作家のアトリエに所蔵されていたが、2020年の市原湖畔美術館での個展に出品され、《風景は垂直にやってくる》とともにこの時期の田中の作風を代表する作品のひとつとして注目を集めた。

【出品作品】《韓(HAN)-黒髪》1990 キャンバスにアクリル、180x2910x45mm photo by Hiroshi Noguchi

タイトルにある、「韓」の意味について調べてみると、1988年にソウルオリンピックが開かれ、日本代表のアーティストに選ばれた田中はオリンピック彫刻公園に作品《空へ》を設置した。これを契機に韓国文化に惹かれ、HANという響きに「かなしみ」という意味があるとか、「韓国は日本のおかあさんのよう」と言っていたそうだ。また、この頃田中と交流のあった、韓国人女性アーティストの名前が韓(HAN)さんだったことから、このシリーズはその方のイメージで描かれたのではないかという説もある。黒髪、という女性を連想させるタイトルと合わせてみると興味深い。

田中信太郎作品展展示風景 アートフロントギャラリー 2020年9月11日 – 10月11日 photo by Hiroshi Noguchi

市原湖畔美術館での個展に同時期にあわせて、アートフロントギャラリーでも個展を開催。主に、長く作家の元に眠っていた平面作品やヴェニスビエンナーレに出品した金属粉を詰めた平面などを展示した。《黒髪》とともに展示された《韓(HAN)- 秋に》はその後アーティゾン美術館に収蔵されている。

池田修氏、光田由里氏とBankART1929 オフィスにて courtesy of BankART1929

大地の芸術祭 出展作品

木蓮
1986
2800×1945、430×300×250mm
キャンバスにアクリル、大理石
韓(HAN)-黒髪
1990
1940 x 1940 x 45mm
キャンバスにアクリル

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